カズン OFFICIAL WEBSITE

四番 ピッチャー
小林昴(すばる)
subaru kobayashi

父/昌宏さん・母/久里子さんの五男として生れる。赤ちゃんの頃からムチムチで、幼少からよく食べ、胸板が厚く五人兄弟で唯一のガッチリ体型。性格は明るくおっとりで、全ての兄から慕われた。兄たちの影響で地元少年野球「笠間クラブ」のグランドに慣れ親しみ、笠間小学校入学と同時に同クラブ入団。低学年から打撃力は群を抜き、ニックネームは「ゴリマッチョ」「おかわり君」。高学年になると中日ドラゴンズのスカウトの目に留まるほどに。開花した長打力でチームを牽引し、県大会準優勝など数々の大会でチームに栄冠をもたらした。大安中学校に進学し、兄たちと同じ硬式野球チーム「菰野ボーイズ」に所属。1年生の冬から四番を打ち、エース投手としてもマウンドに立つ。学校では室長を務め、いじめられている同級生を体を張って守るなど信頼厚いリーダーであった。夜は父子でバッティングの自主練習に励み「将来は野球で生きていけるような打者になろう、大阪桐蔭高校から誘われるような選手になろう、西武ライオンズの森友哉選手のような豪快なバッティングをしよう」と誓い合った。兄譲りのバットがほころびはじめたので、新しいバッドを買う約束を親子で交わした翌日の朝、いつもの通学路で不慮の交通事故に遭う。程無く注文したバットが届いたが一度も振ることはなく..2017年3月14日、搬送先病院で息を引き取った。

享年13歳(中学一年)

!cid_image004_jpg@01d439ff.jpg !cid_image003_jpg@01d439ff.jpg !cid_image002_jpg@01d439ff.jpg  

<父/昌宏さんのお手紙から抜粋>

...それは衝撃でした。昴が中学一年の冬、親子で将来の野球の夢を語った直後の突然の交通事故でした。事故発生後5日間、昴も私たちも全員が必死で闘いましたが、平成29年3月14日昴は息を引取りました。13歳でした。昴は五人兄弟の末っ子。とても心の優しい子でした。野球の長打力には目を見張るものがありましたので、正直私は、野球で生きていく将来の昴の姿を夢見ていました。4人の兄も私と同じ気持ちで昴を見ていたことと思っています。しかし、あの事故で私たちの夢は一瞬にして消え去ってしまいました。心にぽっかりと開いた大きな穴。 私は生きていること自体がつらかった。きっと妻も同じだったと思います。私は半年間以上、仕事以外は家に閉じこもり、ふさぎ込みました。そんな私たちを、同級生やチームメイト先輩・後輩そして地域の同志の皆さんは様々な形で励ましてくださり、温かく見守ってくださいました。だから、私も妻も家族も前を向いて生きる勇気を持つことができたんだと思っています 。皆さんの支えがなかったらどうなっていたことか。ですから私は、私が縁していくすべての方々に感謝気持ちを伝え、すべての方々に精一杯、心からの励ましを送っていかなくてはならないと心に決めています...

漆戸 啓からのメッセージ

「小林昴くんの歌を作りたいとのお話を伺ったのは2018年9月10日に昴くんの出身校でもある笠間小学校でMIN-ON学校コンサートを開催した時でした。昴くんのお父さんお母さんが楽屋を訪ねて来られ、いろんなエピソードを伺いました。その時のお話から僕が感じた事をうまく言葉にすることは出来ません。只々、普通に言葉にするには思いの分だけの言葉が見つからないのです。ただ、お話を伺いながらイメージしたのは プレイボール ということでした。

僕は昴くんには会ったことがありません。でも、生き生きと昴くんが今もそこに生きているのだと感じました。野球に、そして全てに一生懸命だった昴くん。そんな彼が旅立ったその後も、その思いと共に続いてきたプレイボール。人生も野球のように、日々試合の始まりみたいに、新しい一日一日が続いているんじゃないかと。そしてその一つ一つの試合は決して一人で歩んできたものではないんじゃないかと。同級生のお友達もきっと昴くんの思いと共に日々のプレイボールを続けながら前へ進んで来たんじゃないかと思いました。皆さんが中学校を卒業するこの時に、次のプレイボールを続けていく活力になればと..そしていつでも昴くんを思い出せるように..いつでも口ずさめるように..昴くんと共に前へ進んでいけるような歌をとの思いで『プレイボール』という歌を作りました。彼の大好きだった野球のアイテムを散りばめるようにして。
野球もプレイするといいますが、音楽を奏でる事もプレイと言います。私たちカズンもここから、ますます全力で音楽をプレイしていきたいと思っています。その先のベースへ。その先のホームへ。思いをボールでつなぐように今日も新しいプレイボール。そしてプレイミュージック。そんなかけがえのない事を昴くんは伝えてくれているように感じます」
※この楽曲は2020以降発売のCDに収録する予定です。