カズン(古賀いずみ/漆戸啓)Cousin OFFICIAL WEB SITE. 2017

Scene1

未来の空気

世界を舞台に活動する現代美術・映像作家 田中勝氏が初めて古賀いずみと漆戸啓(うるしどひろし)に出逢ったのは2004年。岡山で開催されたイベントの楽屋裏だった。広島長崎被爆60周年を翌年に控えていた。「力をあわせて私たちに何かできることはないだろうか...」短時間の対話だったかもしれない。しかし、その種子はやがて大きなうねりとなって結実していくことになる。

学校コンサートの模様田中勝氏の活動範囲は国境を越える。特に注目すべきはアメリカの女流画家ベッツィ・ミラー・キュウズ氏との共同作品群だ。社会に強く平和を訴えかける。田中勝氏は被爆二世。一方ベッツィ・ミラー・キュウズ氏の実父は核爆弾開発チームに属したことのある科学者だ。文化・芸術の力は、時空や立場を乗り越え二人を強烈に結びつけた。

時は、911テロ後に遡る。
カズンはアフガニスタン難民救済チャリティーコンサート出演の機会を得た。その後、程なくして本当の意味で大任のオファーが入る。
2002年、カズンはTVドキュメントの取材クルーとともに隣国パキスタンを訪問。集まった募金を自らアフガン難民に届けるのが役目だ。

現地入りした二人は即座にやり場のない怒りと悲しみに支配された。
物乞いする子供たち。ずっと後をつけてくる子供たち・・・
ところが、難民キャンプ内の学校を訪問したときのことだった。
朝礼での一コマ.....元気良く挨拶する子供たち。話も聞かず、後ろの方でおしゃべりを続ける子供たち。日本の小学校と変わらない子供たちの姿に思わず微笑む。国土の運命に苛まれながらも、〝今日〟という日を元気一杯スタートさせた教育現場にも敬服。漆戸啓(うるしどひろし)は日記に書き留めた。~「そこは未来の空気で溢れていました」~

(Scene2に続く)

Scene2

空に光るのは..花火がいい!

2005年 カズンは田中勝氏/ベッツィ・ミラー・キュウズ氏とのコラボレーションの機会を得た。広島長崎被爆60周年の8月。広島の子供たちと平和を歌うコンサートだ。準備は周到に行われた。しかし、音楽制作に取り掛かった漆戸啓(うるしどひろし)はテーマの重圧に苦悩する。「厳粛なコンセプトを楽曲でどう表現すべきか」...現場に足を運んだ。作品展の製作現場・広島の各処・そして子供たちの通う小学校へ。そこで改めて感じたことがあった。「今を生きる僕たちは、全てを未来から借りている!」こうしてタイトルは決まった。当時のメモの断片には次のように記されている。
~「僕が君から借りたもの...それは“今”という名の、未来に続くかけがえのない贈り物」~

学校コンサートのエネルギー制作の苦悩は続く。
「平易な言葉で〝ノーモア〟を厳然と表現したい...」
しかし、これまで真正面に向き合う機会が無かった〝広島長崎〟...
史実を研鑚することから始めた。関係者と様々な討議も重ねた。大人も子供も共有できる象徴的なフレーズが必要だったからだ。

最終的な決め手はやはり広島にあった。
「あの日広島上空で光ったのは12000度の核兵器」
「やっぱり、空に光るのは花火がいい!」...音楽指導にあたった担当教員と広島の子供たちとの議論の“熱”に後押しされた格好となった。

迎えた2005年夏コンサート本番。
はつかいち文化ホール<さくらぴあ>は子供たちの漲る元気に溢れた。
そして、大人たちの目には決意の涙が光った。

広島県内で教鞭を握る教育者の田中辰貴(たつよし)氏と、同県内小学校に音楽教員として勤務する田中勤子(のりこ)氏。両氏の存在を抜きにして広島の子供たちと平和を歌う学校コンサートの成功を語ることはできない。事前のトレーニングは決して容易ではない。陰に陽に子供たちを支えた。あらゆる指導を一手に担った。「カズンの歌は子供たちが元気になる。是非来年もやりましょう!」無名の教員の瞳は純粋で真剣そのものだった。“熱”は関係者一同に伝播した。結果、今日に至るまで毎年コンサートや学校公演が実現している。

(Scene3に続く)

Scene3

One~歌う星..波紋

田中辰貴(たつよし)氏・田中勤子(のりこ)氏はじめ、はつかいち文化ホール さくらぴあ関係者の熱と力に支えられ広島の子供たちと歌う平和コンサートでは毎年新しい楽曲を発表してきた。2007年の新作「キミじゃなくっちゃ」は、いじめ問題にフォーカスした。「いじめは、いじめた側が100%悪い」と表現したかった。後年、広島県廿日市市で小学校校長を務めた岡本美紀子氏は語っている。
~「カズンの歌を全校で練習していく中で、学校からいじめがなくなりました。音楽の力は偉大です」~

学校コンサートで爆発2008年当時、ナンバーワンよりオンリーワンとのトレンドがあった。本来どちらの価値も高いことは言うまでもない。漆戸啓は自問した。
「ナンバーワンやオンリーワンの先にあるものは?新たなoneを作れないか?...そうだ!歌で世界が一つに、やがて世界はone になる。一人じゃなくて、みんながoneになる!」

本番当日。子供達のダンスパフォーマンスは期待を裏切らなかった。♪ヒマラヤもアンデスも壁も国境(せん)も 宇宙から見下ろせばみんな丸いさ♪~一人一人が自由に表現し且つ一つになれた瞬間、楽曲「one 〜歌う星」は完成したといってよい。

『池に小石を投げれば波紋が広がります。その波紋は小さくなっていきますが、完全に消える事はありません。そして、どんな人にも、社会を変えていく波紋を生み出す力がある』
ノーベル平和賞を受賞した核物理学者、ジョセフ・ロートブラット博士の言葉だ。広島の子供たちとのコラボレーションで唯一のバラード曲「Wave」は博士の箴言にインスピレーションを得て誕生した。広島の子供たちと歌う平和コンサートから波を起こしていくのだとの決意を込めた。一人の歌う勇気が出発点。やがて世界が歌いだす・・・「one 〜歌う星」のアンサーソングでもある。

2009年8月22日(土)はつかいち文化ホール<さくらぴあ>にアンコール曲「僕が君から借りたもの」のイントロが流れた瞬間、客席にいた卒業生たちはステージに駆け上がった。飛び跳ねんばかりに体全体で歌う純粋な姿に、五年間にわたる関係者全員の労苦が結実していた。他の地域からも声が寄せられるようになったのはこの頃からだ。
「合唱コンクールの自由曲にカズンを選びました」
「全校でカズンを歌うようになり、子供たちが明るく元気になりました」
「音楽の授業でカズンを歌うことで、引っ込み思案の子が活発になりました」
「学習発表会にカズンを招きたい」

波紋は次第に広がり始めたのかもしれない。

(Scene4に続く)

Scene4

漆戸啓が語る真意~

〝Cousin with Children〟は伝えて行くべき事をしっかりと子供たちへ、そして同時に大人たちや次の世代へと歌いつなぎ、共有して行く事が目的です。
広島長崎被爆60周年の折に子供たちと歌うために作った「僕が君から借りたもの」(2005年)から一貫して自分に言い聞かせていることは単に子供の歌を作るのではないという事。先ずは大人たちが、次代へ伝えるべき事をしっかりと歌に乗せた上で一緒に歌っていきたい。そう言う意味では、大人の歌であり、これからもそうありたいと思っています。

学校コンサートの舞台裏もっと言えば、もとより大人も子供も関係ないのかもしれません。平和というものは、僕たちが理解している以上に、もっともっと皆に平等なものなのではないでしょうか。と同時に、大変漠然として難しい言葉でもあります。だからこそ、平和を’歌’という表現にして一緒に歌っていきたいと思っています。

一方で、音楽は<利用>されてきた悲しい歴史もあることを忘れてはならないと思います。

映画キャバレーのワンシーン・・・オープンカフェである青年兵がヒトラーを讃えて軍歌を歌い出します。空気は一変。青年に合わせ皆が歌い出し、みるみる表情が変わっていく。やがて人々の心は戦争へと突入していく・・・

権力者により、戦意を鼓舞するために<利用>されてきた悲しい歴史です。音楽とは善悪両面から、団結させる力、鼓舞する力があるのです。平和を理屈で考えることは難しい。だからこそ、平和を感じとり、平和に向かって行動する勇気を、未来に生きる、未来を創る子供達と歌っていきたいのです。

 (scene5 僕が君から借りたもの カズン with Hiroshima Hatsukaichi kids' choir from kenban'ight)

Scene5

広島の子どもたちと


2012年3月10日。広島廿日市市さくらぴあホールにて行われた鍵盤ナイトvol.5より。
2005年から交流を続けて来た広島の子供たちとのコラボレーション。鍵盤ナイトでの
共演が実現しました。
被爆60年の年から始まった、歌に乗せた平和への思いは今、
全国の子供たちへと広がりつつあります。
全国各地でこの歌を子供たちが歌ってくれています。

♪僕が君から借りたもの

作詞作編曲 うるしどひろし

(scene1:物語のはじめから読み返す)