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2005.2 友情のレシピ

一家一冊!お薦め・・「泣いた赤おに」(浜田廣介著/いもとようこ絵/白泉社/))名著です!浜田廣介著 / いもとようこ絵 / 白泉社“僕はこれから旅に出ることにしました。
長い長い旅になるかもしれません。
けれども僕はいつでも君を忘れますまい。
どこかでまたも会う日があるかもしれません。
さようなら、君、体を大事にしてください。
どこまでも君の友達  青おに ”


赤おには自分のために悪者になってくれた青おにの家を訪ね、
ドアのこの張り紙を読みシクシクと涙を流します。
ご存知、「泣いた赤おに」(浜田廣介著/いもとようこ絵/白泉社/)
の最後のシーンです。


以前、この絵本を読んで号泣した、と書きました。しんみり来るのはわかるけど“号泣”とは大げさな・・・・
と、思われた方も多いと思いますが、これにはワケがあります。
昨年暮れ、私の大親友が亡くなりました。乳がんを患って5年。最後まで諦めず、戦い続けた彼女でした。


初めて彼女に会ったのは高校の入学式。自分で脱いだ靴を入れる場所がわからず、
新しい教室でまごまごし、信じられないことにそんな理由で高校生にもなって私はベソをかいていました。
同じ中学からの友達もいなかったし、心細かったこともあったのかもしれません。
そんな時、声をかけてくれたのが彼女でした。


友達何人かと固まっていた彼女は、靴を納める場所を教えてくれ、
「こっちへおいでよ」と、私を仲間に入れてくれたのです。
それからの高校時代はいっつも彼女とつるんでいました。
彼女はとっても明るくて人気者。いつも彼女の周りには人が集まってました。
ちょっとぽっちゃり目だった彼女は、年がら年中ダイエットしていて「分けて食べるのがやせるんだ」
と、休み時間の度にちょこちょこかくれて食べてたっけ。
真剣なんだろうけど、私にはユニークにうつったことを覚えています。
初めてのお酒、初めての親に内緒の旅行、初めてのグループ交際…
いろんな初めてを彼女と共に経験しました。


高校3年の時、私が、これも初めてどっかのラジオ番組の歌のオーディションを受けに行った時も
一緒についてきてくれたのが彼女。
後から聞いた話では、彼女はその番組中、泣いたそうです。
「いずみが(歌手になって)遠くへいっちゃう・・・・」と思って。
幸い(?)そのオーディションには見事落ちて、笑い話になりましたが。
(彼女は私の結婚式のスピーチでそのエピソードを暴露し、勝手に泣いていた!^^;)
高校卒業後の長い期間も、全ての経緯をお互い知り合ってるくらいしょっちゅう会ってました。
カズンのデビュー後はもちろんのこと、デビュー前、一人で活動していた時も、
どんな小さなライブハウスにも応援に来てくれては耳の痛い(?)コメントをしてくれました。。
「おまえ、あれはないだろ!」とか「おまえ、歌う時、足をゆらすのやめろよ!」とか…
「歩き方が変!」だとか。
そう、彼女は私のこと「おまえ」って呼ぶ唯一の友達(^^)もちろん名前でも呼ばれますけどね。


「親友」ってなんなのかなぁって思います。色々な定義があると思うけど、私の中では「叱り合える友達」かな。時にはピリッとコショーの効いたような辛口な事も言い合える関係でしょうか。
お互いその時はカチっときても、あとから、言ってもらえてよかったな、って思えるのです。
もちろん彼女に励まされたことは語り尽くせないほど!
彼女が病気を患ってからもちょくちょく会ってましたが、私としては、なんとか彼女を励まそうっ、
と思って出かけるのだけど、結局毎回励まされて帰って来るのでした。情けない。(^^;;


昨年の夏、彼女と旅行に行った時も、助手席の彼女はしみじみと私の事を誉めてくれました。
私が何か弱音でも吐いたのでしょうか。「おまえは偉いよなぁ、好きな事続けてるもん。ホント偉い!」
そんな事言われちゃうと私はまた調子に乗っちゃって、頑張ろう!なんて思うのです。
たまには甘い誉め言葉も必要なんですね。たとえそれが嘘だとしても(?)
つくづく、彼女は自分がどんな状況にあっても、友達に勇気を与えられる人でした。
私が彼女をどれだけ勇気づけられたかは甚だ疑問であり、後悔でもありますが。
病院の中でも人気者だったそうです。
彼女が亡くなった時、婦長さん始め、看護士さんが号泣したって聞いて、やっぱりな、って思いましたよ。


先日、彼女の会社の知人が「列島縦断スペシャル」(言わずとしれたカズンがテーマ曲を歌ってた番組)
が録画されたビデオを持って、彼女の実家に訪れたそうです。
彼女に録画するよう頼まれて、渡せずじまいだったからと。
忘れもしないその番組が放映される日、私は彼女にも見てもらいたくて入院中の彼女にメールしました。
実は彼女、普段はまったくテレビを見ない人なの。だけどその日「初めて“テレビカード”なるものを購入し絶対見るから」とウキウキメールが返って来ました。
そしたら放送直前になって、「病院ではイヤホンが無いとテレビが見れないことが判明。休日のため売店も閉まっているし、遅くて人に借りる事もできず、泣く泣く諦めた」と悔しそうなメールが届いたのでした。
結局あの日、知人に録画してくれって頼んでたんですね。私はもちろん録画したのに、別の知人に頼んで、後でそっと見ようと思ってくれたんだなって思って、、、また泣けてきました。そうゆう人なんです。


長くなりましたが…
今はまだ彼女がいないことがピンと来ない反面、胸にぽっかりと穴が空いた感じもあってこの文章を書きながらも彼女を思い出して何度も涙したり思いだし笑いをしたりしてます。
自分の死を覚悟していた彼女のお葬式(彼女曰く“お別れ会”)は、全て本人のプロデュース。
葬儀場から料理の内容まで、全部彼女が残した指示のもと行われました。


最後に配られた、彼女の笑っている写真に書かれたメッセージは
“今日は最後のお別れに来てくださり、ありがとうございました。たまには私のことを思い出してください”
私はこれを読んでオイオイと泣きました。
あんまり泣いてると「おまえ、泣くなよ!」って声が聞えてきそうですが。
彼女は長い長い旅に出たのかもしれません。そして私は彼女のことをいつまでも忘れません。
2005年2月1日(火)親友の写真を前に